名盤「Vauxhall and I」

モリッシーのスミス解散後のキャリアは、一言でいえばジョニー・マーへの未練をかたちにしていくことだった。

モリッシーという異形の存在が初めて手にしたパートナーであり、生身の理解者であったマーを失ったことは、彼にとって取り返しのつかない損失となった。

片翼をもがれて飛べなくなった自分は、この先どうすればいいのか?

そうなった時にモリッシーは、新たな伴侶を探すのではなく、失った存在への思いを作品に昇華していくという道を選んだ、それも繰り返し執拗に。

 

そんなモリッシーのソロキャリアの中で燦然と輝く名盤は、94年発表の「Vauxhall and I」で間違いない。

これほどまでにマーへの思慕をありとあらゆる角度から歌い上げ、ポップ音楽として高い完成度に持っていった仕事は、モリッシーが単なるストーカーではなく芸術家であることを証明している。

「Vauxhall and I」は、まず楽曲の水準が高い。

粒ぞろいの楽曲を揃えることができたのは、プロデューサーを務めたスティーブ・リリーホワイトの貢献が大だが、ここで聴くことのできる雑多と静謐の止揚のような音作りは、真正英国サウンドと呼びたくなるような趣に満ちている。

例えばアメリカ西海岸の低湿度で真っ青な空の下でつくられた抜けの良い音の極北にある、湿度と愁いを帯びた音像は、モリッシーという表現者が纏うものとしてこの上ない適性を示している。

 

この高濃度の英国サウンドを背景に、モリッシーは変わらずマーへの未練を綴り続ける。

「今僕は満たされている」と言いながらティーンエイジャー以来の文学趣味を丸出しにしてみたり、スミス時代と同じく挑発的なメッセージを発してみたかと思えば、妄想の世界に逃避してみたり。

そして、「君が無視すれば無視するほど、僕は近づいていくよ」という身の毛のよだつストーカー宣言を明るいメロディに乗せて歌い上げるという暴挙は、確かにこの人にしかできない芸当であろう。

 

モリッシーという歪な日陰者がスターダムに上り詰めた後、彼がどのような存在に変貌していくのかは、すべてのスミスファンにとって最大の関心事だった。

世界でもっとも成功したストレンジャーであるモリッシーは、かつて彼が目の敵にしたようなマッチョな存在に変化してしまうのだろうか。

この世界のフルメンバーとして、大手を振って歩きはじめるのだろうか。

そんな杞憂が雲散霧消したのは、ソロデビュー作「ビバ・ヘイト」一発で十分だった。

そして彼は、「あの」モリッシーとして、スミスとは違う仕方でキャリアを刻んでいくことに決めた。

その一つの到達点が、「Vauxhall and I」という作品に刻まれているように思う。

 

私たちは今このアルバムに接するとき、その混じり気のない美しさに心を動かされると同時に、そこにいつも留保を伴うひっかかりを感じずにはいられない。

その手触りこそがモリッシーの真骨頂であり、私たちが彼を信頼した理由の表れなのだろう。