「SPILT MILK」の30年

ジェリーフィッシュの「SPILT MILK」発売から30年が経った。

この30年で私がもっとも聴いたアルバムは何だろうと考えた時、ハイラマズの「サンタバーバラ」同じく「ギデオン・ゲイ」、スティーリー・ダンの「aja」、キリンジ「ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック」あたりは確実に10指に入ってくると思うのだが、もしかしたら1位は「SPILT MILK」かもしれない。

なにしろこれは、この30年間、私にとっては継続的なブーム物件であり、その時々の嗜好に左右されることなく、文字通り通奏低音として流れ続ける音楽であるからだ。

 

初めて聴いた高校2年生の時から、私はすぐにこのアルバムに夢中になった。

一度聴けば耳に残る強力なメロディラインからは、繰り返し聴くたびに新しい発見があった。

緻密かつダイナミックなアレンジは、周囲がどんな状況であれ、聴く者を作品世界に没入させる魔力に満ちている。

際立ったベースラインを筆頭に、バンドアンサンブルと楽器演奏の妙は、バンドサウンドとは何かをいつも教えてくれた。

 

ジェリーフィッシュの音楽が、その時々の嗜好や私的状況に関係なく常に聴くべきものとしての位置を確保し続けたのは、やはりその圧倒的な音に尽きる。

私はそれが洋楽であっても、比較的歌詞を重視する聞き手だと思うが、「SPILT MILK」については、いまだに歌詞の内容についてほとんど把握していない。

それがゆえに、時代を超えて常備すべき1枚となり、今も、これからも、私の心を奪い続けるに違いない。

このアルバムを愛聴する多くの人と同じように、私にとって「SPILT MILK」は、いわゆる“人生を変えた一枚”ではない。

しかし「SPILT MILK」は、音楽を聴くことの悦び、ひいてはこの世界に生きることの素晴らしさを、いつでも教えてくれる。

そのような作品を生み出したジェリーフィッシュには、本当に感謝しかない。

 

ところでこの作品には、「こぼれたミルクに泣かないで」という、少しひねりの効いた、かつ世界観の表象を意図した邦題が付けられている。

いまではその意図や素敵さも理解できるが、私はこの邦題を用いない。

高校2年の私がこの盤を手に入れるには、福山駅前のCD屋で取り寄せをお願いするしかなかったのだが、その際、「こぼれたミルクに~」というタイトルを伝えるのに赤面した思い出が、今も少し苦いのだよ。