モテないからモテる、モテるとモテない

表題、まことにやっかいな設定である。

 

率直に言って私は子供時代からモテる男だったと思う。

が、特にそれが具体的成果として計上される思春期以降、「世間」と対峙せず「世界」ばかりに目を向けていたこともあり、何の実績も伴わないモテ期を過ごした。

長じてからもこの傾向は少しも変わらなかった。

私は意に反して「そういうことに興味なさそう」オーラを纏うようになり、「ゆえにモテる」という倒錯した状況の中に生きることとなった。

こうなると、「そういうこと」に対する野心を見せた段階でモテが終了するというアンビバレンツな力学が発生する。

現実的には、私は若い頃から「めったに空きの出ない物件」であったため、そもそも市場に物件情報が流れるようなことがなかった。

つまり対象にリストアップされようがないという構造的要素が強かったわけだが、当人の気分としては、それで納得するほど達観できるはずもない。

上述のアンビバレンスを憎みつつ、かといって手の打ちようもないこの事態に、手をこまぬいているしかなかったわけだ。

 

そして私は今も、「世間」においてしか鍛えられない筋肉はまるで発達せず、「世界」を遠望し憧れる能力だけを発達させた、歪な生き物として存在している。

加えて本当にやっかいだと思うのは、私自身がそういった自分を好きでたまらないことであり、かつ、多くの現実的果実にありついていたであろう自分を想像するに、「こっちのシナリオでよかったぁ」と心の底から感じていることだ。

 

結局のところ中年の本懐とは、「これでいいのだ」と諦念を混ぜ込むことなく呟けるかどうか、なのだろう。

だとしたら私は、正しい中年として存在しているのだと思いたい。