自分を取り巻く環境として、世間-社会-世界の三層構造を提起した。
この度、この論の更新を痛感する出来事があった。
先日、東京在住の高校同窓であるFくんと、同じくKくんと会った。
Kくんはおなじみの盟友であるが、Fくんはなんとこの歳での上京というレアケースを生きており、しかも私と同じ沿線在住ということを先月の同窓会で知り、「ぜひ東京でも!」となっていたところが実現したのだ。
Fくんは野球部出身ということもあり、帰宅部の我々とはまったく違う世界の情報を多数持っている(かつ彼は、それら情報の登場人物でもある)。
そのくせFくんは私たちこじらせロック音楽愛好軍団にもしばしば顔を出していたというバランス感覚の持ち主で、聞けばファッション雑誌愛読オシャレ軍団ともつながりがあったという。
なんだ、最強か。
ということで彼から聞くところの話は、Kくんと私にとってはその多くが蔵出しであり、「そんなことやっとったんか!」という驚愕に満ちたものが多数あった。
今でこそ四回目の年男を前に「明鏡止水な俺」も体内には飼っているから、それらの蔵出し話を肴に酒もすすむわけだが、30代までであれば、私は嫉妬の業火に身を焼かれる気持ちで聞かざるを得なかっただろう。
おまえら、どうせそこで男女混じってツイスターでもしょーたんじゃろうが、まじでぶっころすど! という自分を客観的に眺めながら飲む酒は、少し苦くてまことに旨い。
2人と別れて最高に楽しい土曜日の夜を反芻しながら、私は思った。
おれが知らなかっただけで、田舎の高校生たちにも「世間」はあったのだ、と。
その中で、誰かと誰かがくっついたり、離れたりしながら、彼らは大人という訳知りの存在に近づいていたのだ。
それに引きかえ、あの頃の私に「世間」はなかった。
私にとって重要だったのは、リバプールの4人組に心を奪われて以来、今ここにないものばかりだった。
あるいは、魚を求めて右往左往する、自然との対峙であった。
そう、私にあったのは「世界」だけだったのだ。
三層構造論では、世間-社会-世界の順番が重要となる。
この3つの順序は永遠不変であり、その広さも入れ替わることはない。
だがしかし、これらがある主体の前に立ち現れるタイミングは、必ずしも順番を守らない。
そして、下位概念を経由することなく、いきなり上位概念に対峙することもある。
今回、このことに思い当たったのだった。
現に高校生の私は、「世間」をまったく知らなかった。
それ以上に、「社会」の存在なぞ知る由もなかった。
ただ私は、「世界」のことだけは知っているつもりだったし、それを激しく求めていた。
「自分-世界」という成り立ちだけが私の日々の行動を決め、そこへの憧れが、私の手足と頭を動かす燃料だったのだ。
そしていま思う。
「世間」に顔を出し、「社会」に揉まれながら日々を過ごすようになった現在の私も、基本形はあの頃の「自分-世界」にある、と。
17歳の私は、文字通り井の中の蛙だった。
同窓たちが共有する秘密や不文律を知らず、いつもピント外れのおかしな言動を取っていた。
しかし、ちっぽけな居場所から見上げる空の青さは誰よりも知っていたし、そこへの憧れも誰よりも強かった。
そして、あれから30年が経った今も、私は「世界」の素晴らしさを追い求めて日々を生きている。
なぜならそれが、私があの頃に選択した自分のスタイルだからだ。