ニュータウンの中流

中学1年の頃、少しの間だけ、しょーもない学習塾に通った。

あまりにしょーもない塾だったので、通っていた家の近くの教室が廃止・統合され、なぜか送迎車で30分以上もかかる本校に通うことになってしまった。

中学1年の私はすべてにやる気のない時間を過ごしていたので、塾に通ったからといって成績が向上することもなかったのだが、そこをやめるだけのやる気もなく、ただ成り行きで往復1時間かけて通うことになった。

 

本校は丘陵地を切り拓いた新興住宅地の真ん中にあった。

私の郷里は高度成長期、製鉄所を誘致して発展した街だったので、人口の増加に合わせて山付きにはこうしたニュータウンが多く造成されていた。

私が中学生だった80年代終わりから90年代初頭、すでに開発は終わっていたものの、それらは新しさと都会的な上等さ(これが私の地元に最も欠けていたものだ)を感じさせる街並みで、一軒一軒の住宅にも、抑制的ながら確かに豪華さがあった。

ニュータウンの本校に通う生徒たちは、それまで生身の人間が話すのを聞いたことがなかった標準語を操り、私を驚かせた。

彼らは製鉄所に仕事をもとめて首都圏からやってきた人たちの子女なのだろう。

テレビドラマに出てくる都会の子を思わせる彼らに、土着の少年だった私は接点を見出すことができず、往き帰りの不便さと相まって、ほどなくそこに通うのが苦痛になった。

結局私はその塾を辞め、地元の、いささか変人のきらいがある農家の秀才息子が軒先で営む学習塾に通うことにした。

こちらは性に合っていたのか、中学卒業まで通った。

 

この記憶がそう思わせるのだろうか。

私にとってニュータウンは、都会的でまぶしく、そこが人の住むところとはわかっていても、決して自分の居場所はないと思わせる、排除の空間となった。

均一な区画、出来る限り立派に、それでいて目立ち過ぎないように設えられた家々、人に見せることを意識した植栽や電飾。

家業が魚屋だった私にとって、それぞれの家庭に収入の多寡が存在することはイメージできたが、それ以外の文化資本によって規定される社会階級は想像の枠外にあった。

「金持ち」や「貧乏人」は具体的に思い浮かべることができても、「中流階級」と言われる人々がどんな暮らしを送り、何を幸せと感じているのか、計り知れなかったのだ。

 

先日、首都圏の、やはり60年代に開発の始まったとあるニュータウンに行ってみた。

丘陵地を切り拓いて造成されたそこは、正確にはニュータウンが連続する地域で、場所によって開発時期のズレはあるものの、坂道と住宅街区がどこまでも続くような景観である。

一つひとつの家はゆったりとした敷地に建てられ、それなりの立派さを感じさせるものが多かったが、ニュータウンの文法に則り、目立たない程度の見栄えに統一されている。

そこにあるのは、確かに中流を具現化したような風景だったが、私は、かつてのような排除の感覚を抱かずに済んだ。

それは、自分が中流に含まれるようになったからではない。

社会階層を決定するのは経済力だけでなく、生来環境が備えていた文化資本が重要だから、仮に私が中流と言われる程度の収入を得ていたとしても、階層移動はない。

そこが自分が含まれるべき場所かどうかについて、実は参加資格は問われない(そうなるようにしてきたのが、近代以降の人権思想とか民主主義だ)。

そうではなくて、その場所で自分が感受する空気や匂いが、社会的存在としての自分に「しっくりくる」かどうかが、己が属すべき階級を教えてくれるのだ。

 

私にとってニュータウンは、相変わらず「しっくりくる」空間ではない。

しかし、その場所は私を排除せず、迷い込んだストレンジャーに徘徊を許す程度の寛容を見せてくれているように感じられる。

たぶんそれは、そこがもう過去のものとなり、ひょっとすると歴史に含まれるようになったからではないか。

ミュージアムが、展示物に何がしかの価値を見出してやってくる者を決して排除しないように、歴史というパッケージに包まれることで、そこに属さない者に「見られる」糸口を与えているのではないか、そんな風に思うのである。

かつてはニュータウンが私を見ていたのに、今ではニュータウンが私に見られているわけだ。

 

ニュータウンには今も人が住み続け、住民の入れ替わりもあれば新しく土地が分譲されることもある。

しかし、かつてそこに人を引き寄せた引力となる物語は、すでに終わった。

人びとの移動を動機づけていたストーリーが終焉することで、物語に参加していなかった人にも、ニュータウンは門戸を開くようになった。

そこには、時間の積み重なりだけでは身に付けることのできないおおらかさのようなものがあるのだろう。

家並みだけでなく、駅前ロータリーに面した信用金庫、ローカルチェーンのスーパー、個人経営の喫茶店、そういったものすべてが、現在にありながら過去を生きているようで、私にはそれが、とても好ましいもののように感じられたのだ。

 

過去に生きることは、悲しい。

だが、過去とともに生きることは、現在を豊かなものにする。

私の眼前にはいま、過去と未来が均等な重さで垂れかかっているように思える。

こういった局面で最適解を出すことの困難さを、中年の本領と心得たい。