バッファロー・スプリングフィールドがわかった、のか

有名なエピソードをひとつ。

エイプリル・フール~はぴいえんど原型期、細野晴臣を虜にしていたのはバッファロー・スプリングフィールドだった。

当時、バッファローは気鋭の天才集団として評価されていたが、非常に「わかりにくい」バンドであり、それが魅力の源泉となっていたことは間違いない。

細野をして「わかりにくい」とされるバッファローの秘密を、「バッファローがわかった」とある日彼に告げた大瀧詠一の存在が、日本のロックの創造者集団であるはっぴえんどを生み出した。

 

さて、大瀧はバッファローをどう「わかった」のだろうか。

大瀧の本領である、50年代のアメリカン・ポップスを範としたドリーミーな音作りは、バッファローには見られない。

アーシーな音作りやペダルスチールの使用など、表層的には『風街ろまん』に簡単にその影響を指摘できるが、まさか細野・大瀧という才人が、それをもって「バッファローがわかった」などとは言うまい。

しかし大瀧と細野は、確実にバッファローの秘密を掴んでいた。

 

正確な引用ではないが、萩原健太は再発盤『風街』のライナーノーツで、(夏を唄っていても)「冷房の効いた部屋から窓越しに街を眺めている感じ」とはっぴいえんどの音楽世界を表現した。

じっさい『風街』には「夏なんです」が収録されているが、この世界に存在するどんな夏ソングとも似ていないその手触りは、萩原が指摘するように「外にいない」ことに起因しているように思う。

夏という、気候が最適値を外れ、それにともなって人間の欲望も落ち着きを無くすその季節に、あえて部屋から出ない。

それがはっぴいえんどの本質であるとすれば、それは間違いなくバッファロー・スプリングフィールドから受け継いだものであろう。

 

私がバッファローを長年聴き続けて達した感慨に、「音が遠くで鳴っている」というものがある。

これは実際にアンプとマイクを離してレコーディングしていたとかそういった事情もあるのかもしれないが、「そこにいるようでいない」「透明な膜の向こうにバンドがいるよう」という手触りが、バッファローの音楽の唯一無二性を担保しており、その副作用としての「わかりにくさ」を生み出しているような気がしてならない。

例えば、彼らの作品にはトゥワンギーなギターサウンドが多用されているが、それはカントリー・ミュージックの引用としてではなく、いったん「アメリカンロック的な記号」として漂白されたものを、卓越した編集センスで配置したような批評性がある。

バッファローサウンドが、明らかにルーツミュージックの影響を受けていながら完全な独創の領域に到達しているのは、すべての音要素を記号として無機質なものとし、それを再構築して楽曲をかたちづくっているからであり、その発想は90年代以降のサンプリング音楽における創造のあり方に近い。

1960年代の終わりにこうしたアプローチで音楽をつくっていた人は稀であり、この「回りくどさ」が「わかりにくさ」に直結していたことは、想像に難くない。

 

ルーツミュージックへの憧憬を隠すことなく、かつ、批評性を持って取り扱っているミュージシャンとして、私はハイラマズのショーン・オヘイガンを思い浮かべるが、バッファローとハイラマズは、そういう意味で被っている。

最終的な手触りとして、ハイラマズは「書き割りのよう」でありバッファローは「音が遠い」と私は感じるのだが、各々の特長はありつつ、ここに至った芸術的アプローチに関しては、この2つのバンドは驚くほど似ている。

 

大瀧詠一が気付き細野晴臣が共鳴したこと、萩原健一が『風街』に指摘したこと。

それは、バッファローのきわめて批評的な創造姿勢による触発が生み出した、芸術的「環」であったように思う。