ずいぶん久しぶりに、サニーデイ・サービスの作品群を聴いている。
1stの「若者たち」から99年の「MUGEN」あたりまでだが、やはりこの時期のサニーデイは完全にゾーンに入っていたと改めて感じている。
まず何といっても、歌と言葉の圧倒的なクオリティ。
時の風雪に耐えた曽我部の言葉は、今もそれを聴く者に何かを喚起させる力に満ちている。
90年代のサニーデイに一貫していたのは、東京という街へのあこがれと幻想だと思う。
地方出身者が東京に抱くイメージのままの東京が、90年代までは確かにあった。
若者だらけの雑踏、時の止まったような喫茶店、都会とは思えない豊かな緑、そして日夜繰り返される、街での出会い。
そんな東京への思いを、生活者でありながら、完全に腰を据えない絶妙な距離感で切り取って見せた言葉の数々は、失われてしまった東京の面影を見事に再現している。
それはあたかも、松本隆が失われた東京=風街を描きだした70年代の仕事を継承しているかのようだ。
そんな言葉たちが載せられるメロディは、一人のソングライターの絶頂期からしか生まれない、説明不能の美しさに満ちている。
曽我部が歌い出した瞬間、空間のすべてが静かな高揚で満たされるような、圧倒的な支配力。
若くしてこれだけの才能を発揮させることも稀有だが、それがコンスタントに作品化されたことは、時代状況も含めて幸運の連続としか言いようがない。
そして新たな発見として、バンドアンサンブルの素晴らしさに感じ入っている。
端的に言って巧い。
曽我部のギターは完全に「ヴォーカリストのギター」の域を超えているし、田中のベースはメロディと曲の雰囲気を完全に咀嚼したラインを紡いでいる。
そしてサニーデイの音を決定づける丸山のドラムは、決して流麗でもパワフルでもないが、ドタバタ感をひたすら洗練させたような独自のビートを生み出している。
これが歌と折り重なるとき、唯一無二の音響が生まれるのだ。
特に「MUGEN」におけるバンドアンサンブルは、不思議なコンプレッションに覆われたエンジニアリングも相まって、完成の域に達しているのではないだろうか。
20年以上の風雪に耐えたサニーデイの作品は、当時のムーヴメントとしての熱量が消えた今でも、否、今だからこそ、新鮮で発見に満ちた魔法のような音楽だと感じる。