稜線まで続く緩やかな坂を縦横に貫き、通りが敷かれている。
通りにはオフィスやホテル新旧のビルディングが建ち並び、ほどよい緊張感を街に与えている。
ところが、毛細血管のように張り巡らされた路地に足を踏み入れると、戦前からずっとそこにあるモダンな住宅や、年月を経て風景の一部となったマンションがあって、ここが生活の場でもあることを気付かされる。
そういった路地には、昔から港町に立ち寄った食通たちを唸らせてきた名店がさりげなくあったりするものだから気が抜けない。
街の住人にとっては日常そのものでしかない小さなパン屋も、東京では仰々しく売られているものと同等かそれ以上の商品を普通に並べている。
いくつかの線路を横切って坂を下りきると、通りはますます幅を広げ、港の広場に接続する。
ずっと眼下に見えていた海が広がり、人工島に続く巨大な橋脚が見える。
港を少し山側に戻ると、港町では必ずその名称を見かける「海岸通り」が見つかる。
往時の賑わいが薄れ、一時は廃墟然としていたかつてのメインストリートには、少しずつ店が戻り、昔と同じように、目利きを楽しませるだけの選び抜かれた品々を並べている。
電車で30分も行けば大都会に接続するこの街で、「分かる人に分かればいい」という凛たる姿勢を貫くそれらの店は、しかし港町特有の寛容さも併せ持つ。
来る者を拒まず、そこに居心地の好さを感じた者には必ず満足と思い出を残す、そういった店たちだ。
休日は釣り竿を担いで海に向かってもいいし、トレッキングシューズを履いて常緑の山々に分け入ってもいい。
この街では都市と2種類の自然がすべて生活圏内に収まっているから、朝起きた時の気分で、その日の使い方を決めればいいのだ。
場合によっては車を駆って、海岸線に沿うように流れる景色を楽しむのもいい。
東に向かえば躍動を、西に向かえば安息を受け取ることができるだろう。
そういう街に憧れている。
そういう街に住むことを夢想している。
夢想はいつしか計画に変わるのか、自分の内側から聴こえてくる声に耳を澄ませながら、東京の日々を過ごしている。