帰郷のN

中学以来の付き合いであるNが、帰郷を決めた。
といっても実家に拠るようなものではなく、地域が自らの育成地というだけで、まったくゼロからの出発となるそうだ。
この決断に至るまで、Nには言い尽くせない逡巡があったと思うし、現実的に家庭を失う経験に直面している。
いまはただ、Nの新生活が健やかで少しでも楽しみが備わった日々であることを祈るのみである。

Nとは不思議な関係で、知り合ったころから、近くはないが遠くもない距離感を保ってきた。
パーソナリティで言うと、何事も銅鑼を打ち鳴らして進むような私と寡黙で感情の起伏をおくびにも出さない彼は、まったく相容れる要素が無いように思えたし、今もそう思う。
しかし折々で私は彼を必要としたし、彼もまた時に私を必要としたのかもしれない。
また、伝え聞く彼のクローズドな世界での振る舞いから察するに、考えたことをすんなりとアウトプットする私のような人間を、どこかで参照していたのかもしれない。
私は私の方で、彼の思慮深い(風の)佇まいに、何人かの異性が魅せられていった様を横目に、すべての打ち手が墓穴を掘ることに直結していた自分の居住まいを(戦術的に)正すうえで参考にしていたきらいはある。
そう、私たちはお互いを認めてはいたが、影響を与え合うまでは行かない距離感で、「へぇ、そんなスタイルもあるんだ」と半ば嫌味と嫉妬を織り交ぜながら、それでも関係を途切れさせることなく、この30年を過ごしてきた。
世の中には良い面も悪い面も受け止めてフルコミットできる関係性(多くの場合それは友情と呼ばれる)が存在するが、私たちの場合は、すべてを認めつつもそのコミットの度合いがいささか低かったのかもしれない。

Nの特筆すべき美点は、そのサバイバル能力の高さに尽きる。
極論彼は、寝袋一つあれば場所と生業を選ばずに生きていける男だ。
その能力はアウトドアという非日常の世界で発揮されるのではなく、日々の生活において発揮されるところが独自である。
彼は安息を求めないのか、安息の閾値が恐ろしくブロードバンドなのか、どんな場所でも寝袋に包まれば、その場所で体と心を恢復させることができるのだった。
だから彼はすべてを失ったという事実に対しても、一泊8Gの宿屋で全快するRPGの主人公のように、もはや傷痕を眺めるだけの健康体を入手したのかもしれない。

私が出口の見えない洞窟を歩いているときも、日向で安穏と寝ているときも、彼は多くの人からすれば落ち着かない場所に寝床を定め、東京の20年間を生きてきた。
先日数年ぶりに会ったNの顔には幾筋かの皺が刻まれ、隠すまでもない白髪に覆われていたが、ヘラクレスのような力感と禅僧のような不動の様は相変わらずのものがあった。
きっと彼は新天地でも、坦々と寝床をこしらえていくのだろうと思う。