「あの頃、マリーローランサン」の頃

東京は坂の多い土地だが、中でもとりわけ起伏に富むのは、港区周辺ではないかと思う。

このあたりは江戸時代からほとんどが都市化されているから、例えば武蔵野の国分寺崖線のように、地形が開発地の表に立つような景色を見ることはほとんどなく、どんな斜面にも道路と建物が稠密に施された景観が続く。

坂は、そこを開発しようとするものにとって、克服課題であると同時に腕の鳴る素材ではないだろうか。

坂があることで一様に土地を馴らし、直線を引いて計画を立てるのが困難になる分、そこには表情が生まれ、街の様相は立体的なものとなる。

それは時に計画者の思惑を超え、見たことのない景観を立ち上がらせるのかもしれない。

港区あたりを歩くと、坂が複雑に入り組み、連続し、断続し、急に視界が開けて、尾根道である大通りに抜けたりする。

その一筋縄ではいかないランドスケープに迷い込んだとき、私たちは地形と都市のせめぎ合いを目の当たりにし、静かな興奮を覚えるのだ。

 

そんな坂道からひょっこり、加藤和彦が現れてきたらどうだろう。

あの長身で痩身の伊達男が、軽やかな空気をまとって踊るように通りに姿を見せる。

時には安井かずみと手を取って。

そんな風景が実際、80年代の六本木にはあったのだ。

 

1983年の加藤のソロアルバム、「あの頃、マリーローランサン」を、ここ2年ばかり繰り返し聴いている。

聴いていないときも頭の中に流れて、その頃の東京の街並みや加藤・安井夫妻の生活を想像してみたりするから、私の思考の一定部分を「あの頃~」が占めているような気がする。

このアルバムは、加藤和彦が最も才気に満ちていた時期に制作された、いわゆるヨーロッパ三部作の後、ふっと弛緩したような瞬間に生まれた。

手練れを集めたセッションを通じて録られた音はすべてが自然体で、緻密なアレンジでさえも、最初からそのようにしかありえなかったのではないかといった佇まいで空間を振動させる。

安井かずみの手になる詞は、技巧と知性を当たり前のように纏いながら、それでいて角がなく、エイジングを重ねた蒸留酒のような口当たりを持っている。

そして何より、加藤和彦の歌。

彼の天才的なメロディセンスは改めて言うまでもないが、優しさと儚さが織りなす唯一無二の風合いを備えたボーカルは、作品を完成させる最も重要なピースとして中心に存在している。

 

「あの頃、マリーローランサン」で描かれるのは、都会に暮らすカップルの日常だ。

時にすれ違ったり、感情をぶつけ合ったりしながらも、何ということのない出来事の連続でしかない毎日の生活を丁寧に切り取り、祝福するように綴っていく。

そこに旗色の鮮明な思想はなく、誰かを突き動かすようなパトスもないが、このアルバムの世界に浸っている間、その人は他者へのやさしさを思い、この世界に自分が確かに帰属している感覚に疑いをもたずにいられる。

主人公の二人が生活を送る場所として、80年代前半の東京ほどふさわしい空間はない。

高度成長の熱気と、数年後に訪れる質の悪い好景気の間にふと現出した、エアポケットのような空間。

その場所で、終わっていく時代の残影と胎動を始めた狂騒をどこかで感じながら、今しかない穏やかで平和な時間を享受するやさしい人たち。

その様は、60年代から時代の先端を走り続け、最期はすべてに絶望して去っていった加藤自身の人生に訪れた凪のような時間と、見事に一致しているのではないか。

 

「あの頃、マリーローランサン」の舞台になったような東京は、もうない。

加藤和彦が坂を上ってきて通りにひょっと顔を出すことも、もうない。

東京は、それが虚構とわかっていても突き進むしかないほど余裕を失い、過去の再生産以外に輝く術を知らない、ただ地価が高く人が多いだけの街になってしまった。

穏やかな生活を愛するやさしい人びとは、今は遠く離れたどこかの街で、新しい物語のなかに生き始めたのだろう。

私にとって「あの頃、マリーローランサン」を聴くことは、傑出した音楽家の最良の作品に包まれる至福の体験であるとともに、加藤和彦がいなくなった東京に取り残されたことを感じさせられる、やるせない時間でもある。